2002年6月のつぶやき



その3

昔一緒にバンドをやっていた琴奏者のみやざきみえこも、
最近欧州と日本を往復して活動している。
そういった話題で時々長電話をしてしまう。


彼女が最近立ち上げたHPに、こんなことを書いていた。


「9歳で琴に出会ったときからずっと、琴の音色で遊び続けてきました。
やわらかく澄んだそのサウンドは常に私と共にあったのです。
その当時は琴が日本の伝統楽器であることには気にも留めなかったけど。 」
「”日本の伝統”という肩書きなしにそれらの音楽を楽しめるように
なったときこそ、日本の音楽文化は成熟するのです。
早くそんな時代をみたいものですね。 」



その2

奄美島唄のRIKKIのライブに参加したとき、
彼女と築地俊造さん、二人の唄者の姿に
なんだか意味もなく涙が出て
生活の中から生まれた土地の音楽というものを
生業に出来る幸せを羨ましく思ったものだった。

ちょうどその時ライブ会場にいらっしゃっている
タンゴ評論家のSさんに
お酒をあおりながらぼやいた。

「私は、自分の国の音楽ではない西洋音楽を
自分では自然な音楽と感じて育てきちゃったし、
でも、ある程度の年齢になって、
これは学習して身に付いたものなのだと思ったら、
そこから出たくなっていろいろ探しているわけじゃないですか・・・。
でも、タンゴだってアルゼンチンの文化と
深く関わっている音楽なわけだし、
どうしても感じられないところってあるだろうから、
ネイティブな音楽って羨ましいなぁ、、、」
「でも、彼らは彼らで
あそこから出てもっと自分の音楽をしたいと
もがいているのかもしれないでしょう。。
どちらの苦労も比べられないし、
だからこそ、そこに面白さがあるんでしょう。。」



その 1

そういえば、私の友人で欧州で大躍進中の
女流作曲家嬢も、かの作曲家クラウス・フーバー氏に
「君の作品からは雅楽が感じられない。どうしてだ」と
否定的な意味で言われて驚いたとか言っていた。

殊更に、日本人でもアジア人のつもりでもなく、
西洋音楽をやってきた私にとっては
あのおじさんにGiappone,Giapponeをしつこく
繰り返されたことはちょっとショックだった。
別にあの音楽学者は特に日本びいきという
わけではなさそうだったし。

そういえば、小松亮太君が
日本でタンゴをやることが驚かれず普通になった時こそ
始まりだ、みたいな事をよく言っていたけれど、
その話を聞いて、クラシックも3、40年前は
そんな感じだったんだろうなと思ったものだった。

でも今、私が欧州でクラシックの評論家に言われることも、
相変わらずまだこんなものなのだ。